新成田山覚盛寺のご詠歌
「かみとなり ほとけとなりて みづのなか かえんのなかに たつもよのため」
[訳文]
あるときは神様のお姿をとり、またあるときは仏様のお姿で現れて、水の中や火の中に立っている。それは世の苦しんでいる人々を救うためなのです。
[解説]
不動明王は大日如来の化身であり、本来は仏の悟りの世界に通じている聖者ですが、苦しみのさなかに居る衆生を救うため、自らも過酷な苦しみの世界に身を投じます。修行者や信者のためには自ら下僕の姿で仕えて護ります。汚れ仕事も厭いません。本気の情熱は火炎となって身体を包みます。邪悪に対する怒りは牙となり、また眉間の皺にも現れます。智慧の剣と、迷う衆生を逃がさない慈悲の羂索を以て救いを表します。しかし、実は不動明王の住所は特定の場所ではありません。その存在は無限の宇宙空間のようでもあり、また我々の心の中にも常に居るのです。迷える衆生の願いに従ってあらゆる姿で、あらゆる場所に現れます。神様の姿で救って欲しい人には神様として現れます。仏様として導いて欲しい人には仏様の姿で導きます。「たとえ火の中水の中」、世の衆生のためならどんな過酷な場所にでも現れます。このようにいつも私達を想い、寄り添って下さる有難い仏様なのです。
因みに、修験行者が滝行をしたり、火渡りをするのは、お不動様のこのお誓いの徳を自ら体現するためなのです。
残念ながら曲は伝わっていません。
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